チーム紹介

興隆期

水泳復活。世界にのろし

 戦後、水泳競技会の幕開けは46(昭和21)年7月、早大東伏見プールで開かれた早慶対抗だった。前触れもなく当時中学1年生の皇太子さま(現・今上陛下)が観戦においでになられた。秋には日本学生選手権が復活。3年間の空白を経て、日大に8点差で勝ち17度目の優勝を果たした。

 49(昭和24)年の全米屋外男子選手権に、主将として稲泳会の村山修一、日大の古橋廣之進、橋爪四郎、浜口喜博、丸山茂幸、そして早大学院の田中純夫の自由形6選手が出場した。1500m自由形で古橋が18分19秒0 の驚異的な世界新記録をマークするなど、計9つの世界新記録を作り、敗戦で打ちひしがれていた日本国民に希望と勇気を与えた。Image title

インカレ5連覇。「世界記録に挑む会」も

 51(昭和26)年のインカレで5年ぶり18回目の優勝。55(昭和30)年まで5連覇を達成。この間、54(昭和29)年には「世界記録に挑む会」を開き、長沢二郎が200mバタフライ、田中守が200m平泳ぎ、400mメドレーリレーで三つの世界新記録を作った。

 56年にはメルボルン・オリンピックが開かれ、日大勢が活躍。200m平泳ぎで古川勝、吉村昌弘が金、銀メダル、200mバタフライで石本隆が銀メダルを獲得した。稲泳会からは自由形の谷あつし、古賀学、背泳ぎの長谷、飛び込みの馬場豊が出場した。

 このオリンピックで石川県輪島高3年生、翌年早大に進む山中毅が400m、1500mともローズ(豪)と大接戦を演じて銀メダルを獲得。両種目とも山中は古橋の持つ日本記録を大幅に更新した。Image title