久々のオリンピック入賞と女子の台頭
1984(昭和59)年のロサンゼルス・オリンピックに参加したのは奥野景介ひとり。続く88(昭和63)年のソウル・オリンピックには武田聡、渡辺健司が出場したが、いずれも決勝には進めなかった。
92(平成4)年のバルセロナ・オリンピックには、OBの渡辺をはじめ、藤本隆宏、糸井統、中野勉、ベルギー代表としてバンデワーレ泰広と、久々に5人が出場。200m背泳ぎで糸井が4位に食い込む健闘を見せた。
このバルセロナ大会から、早稲田競泳に新しい波が押し寄せる。後に早稲田に進学する漢人陽子、粕谷恭子、稲田法子が出場。さらに96(平成8)年のアトランタ・オリンピックに黒鳥文絵、2000(平成12)年のシドニー・オリンピックに稲田、三田真希と、女子選手が相次いで世界の舞台に飛び出した。
競泳で23年ぶり29回目のインカレ優勝
1981(昭和56)年の日本学生選手権では小林聡が200m個人メドレーで優勝したものの、史上初めてシード校(上位6校)落ち。83(昭和58)年には、早慶戦で45年ぶり2度目の敗戦という屈辱も経験することになる。
しかし、平成に年号が改められた89年、ついに23年ぶり29回目の栄冠を勝ち取った。末次勝主将のもと、2日目までのビハインドをひっくり返しての天皇杯獲得。続く90(平成2)年も劣勢を跳ね返して連勝。1年おいて92(平成4)年にも、藤本の4年連続200m、400m個人メドレー制覇やバンデワーレ主将の活躍などで31回目の優勝を遂げた。
しかし、その後は次第にチーム力が低下し、年を追うごとに成績を落としていくことになる。対照的に頭角を現してきたのが女子。初の団体出場となった95(平成7)年に4人で3位。翌年は2位と、あと1歩と迫った。2004(平成16)年には女子選手18人となり「初優勝」の夢が広がったが、日体大の前に涙をのんだ。
水球で31年ぶり12回目の日本一
長く低迷が続いていた水球も1990年代からチーム力がアップし、99(平成11)年に日本選手権の決勝に進出。7-10で日体大に敗れたが、翌2000(平成12)年には決勝で仙台大を9-3の大差で下し、31年ぶり、12回目の「日本一」の座についた。
その後、05(平成17)年には東日本水球リーグで5年ぶり3度目の優勝を果たすなど、上位での活躍が続いている。
飛び込みも、2000年代に入って、女子の大槻枝美、山下美佐子の入学で活気を取り戻し、大槻が2001(平成13)年の世界選手権シンクロダイビングで3位。山下は04(平成16)年、05(平成17)年のインカレで板飛び、高飛び両種目を連覇するなど、こちらも女子の活躍が目立った。